122日目:岩手県花巻市〜岩手県陸前高田市

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おはようございます☀️

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テント浸水でしました....中までびちょびちょ。
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ということでこんな時は自然の力を借りるしかありません。バイクの後ろに括り付けて太陽光と風の力で乾燥させます。

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さて出発しますか!おやおや、バイクに来客者が来ていました。小さなカエルです。今日も無事にカエルことが大切だぞ、と伝えに来たのでしょうか。安全第一で行きます。

2時間ほど花巻市から南下しました。

一関市の景勝地の1つ、厳美渓にやってきました。
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力強い水の力で岩が侵食されてたくさんの凹凸が生まれており、とても美しい景色です。こうした水の音を聞くのはとても好きです。

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太平洋側へ向かって走り、陸前高田市の沿岸部へやってきました。
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このエリアも高い防波堤が設置されている為、登らないと海を見ることはできません。
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これは防波堤の上から街の方面を撮影した1枚。みなさん、陸前高田市という名前をテレビで何度か耳にしたことがあるのはないでしょうか?

ここ陸前高田市は、11年前の東日本大震災の時に壊滅的な被害を受けた地域の1つです。

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東日本大震災が起こる前、ここ沿岸部は高田松原と呼ばれる美しい松原が広がっていました。さらに気仙川の対岸には住宅街が広がっていました。しかし、今ここは何もありません。津波によって全てが流されてしまったのです。

震災が起きた11年前のあの日、僕は小学校6年生でした。ちょうど学校で卒業前だったので、お楽しみ会をしていたのを覚えています。自分の住む関西も小さな揺れがあったそうですが、自分自身がその揺れに気が付いたかまでは覚えていません。ただ、家に帰ると津波によって無惨にも流されていく街の様子を見たのを覚えています。

しかしその時は、はっきり覚えていませんが、他人事のように捉えていたと思います。それから何年か経ち、南海トラフ巨大地震の話が上がってきた頃に、地震の脅威を改めて知りました。地震の脅威を知り、決して他人事では無いということを再認識するために震災遺構を周って行きます。

初めに津波伝承館へ行きました。撮影禁止場所が多かったため写真の掲載はしていませんが、流された巨大な橋桁や押し潰された車の展示を見ました。

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こちらは名前が分からなかったのですが、津波によって押し潰された建物です。コンクリートですら簡単に破壊していくことが分かります。
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この木は「奇跡の1本松」と言います。高田松原の松の木が流されていく中で奇跡的に残った1本。復興のシンボルとして残していこうという事で保存されています。

ふとこの木を見た時に僕は思いました。

今僕は日本一周の旅をしている。4万円で買った決して性能が良くない中古のカブに乗っている。お金もまともに持たずに始まった旅。他の旅人を見て羨ましくなることだってある。でも僕は今、やりたいことができている。ここには、やりたい事や夢を叶えるチャンスすら失われて亡くなった幾つもの尊い命がある。改めて今、自分が生きていることのありがたみ、やりたいことができていることに感謝しないといけないと思いました。
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最後に東日本大震災の被害の全貌について公開しておきます。
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急な雨が降ってきて身動きが取れなくなり、夜は橋の下で寝ることになりました。とても勉強になった1日でした。おやすみなさい!