182日目:鹿児島県阿久根市〜鹿児島県鹿児島市

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おはようございます☀

今日は南九州市の知覧まで南下し、その後鹿児島市内まで戻って来るルートで進んでいきます。

80kmくらいの道のり、ほとんど直線です。

鼻歌を歌いながらのんび〜り走ります。

最近は寒いのでトイレが近いです...

道の駅を見つけたのでトイレ休憩っと。

んんん、なんだこれ🤔

トイレから出てふと壁に目を向けると発見。

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これは気になる.....!!!!
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え、?

なんか期待外れでした笑

何を想像してたかと言われると答えられませんがとにかく期待外れです笑

その後はひたすら走り、南九州市の知覧へやってきました。
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やってきたのは知覧特攻平和会館

ここまで長崎、広島で戦争についてこの旅を通じて学んできたのでここ、知覧にも必ず行きたいと思っていました。

平和会館の内部はほぼ全て撮影禁止でした。f:id:yamatabitabi:20221204214433j:image
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この飛行機は唯一撮影が許されていた当時、旧海軍の主力戦闘機として実際に使用されていたもの。

名前は零式艦上戦闘機52丙型

1945年5月にエンジントラブルによって薩摩川内市の沖合に不時着したものです。

そもそも知覧特攻平和会館とはどのような所なのか?説明します。

ここでは第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、亡くなられた方々の遺品や関係資料などが展示されています。

特攻とは正式には特別攻撃と呼び、飛行機に爆弾を積んで、自分の命と一緒に敵の部隊に突っ込んでいく戦法の一つ。

今でこそ考えられないようなことだが、当時の日本はこの特攻により1036名もの尊い命が失われました。

そのうち439名がここ知覧にあった飛行場から沖縄へ向けて飛び立ち、命を落としました。

この特攻隊に選ばれた人たちは殆どが20代前半の若者たちでした。

一番若い人は17歳。

こんなにも若い命がたくさん犠牲になったこと、これは二度とあってはならない事です。

資料館に置かれた大量の遺書はとても直視できませんでした。

この下の写真は三角兵舎と言い、特攻隊に選ばれた人たちはここで生活して命令が出たら特攻として出動して沖縄の空に散華されました。

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本当に今考えるとあり得ない話です。

その後は鹿児島市へ。
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対岸には立派な桜島が見えました。

さてさて、鹿児島ラーメンでも食べに行こう。
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食べログで評価の高かった豚とろへ。

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見るからにこってりで美味しそうなラーメン。

麺はツルツルした特にこれといった特徴はないものだったのですが、チャーシューがうますぎる。トロットロでもう堪りません。

そこにニンニクの味がよく効いていて最高👍
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チャーシュー丼も食べちゃいました😄

夜は鹿児島市ないで立派な屋根のある公園を見つけたのでそちらへ。

おやすみなさい!